コラム

僕たちはお金稼ぎをしています。



物事を進めていくにあたって、“目的”と“手段”を明確にしておくことはとても重要です。

目的の下には必ず手段が存在し、
その手段をクリアしていくことによって目的を達成する。
しかし時に、“手段”がいつの間にか目的化してしまうことがあります。

例えば、お皿洗いの目的は、「汚れを落とす」ということで、そのための手段として、「洗う」という行為をします。
でも、「洗う」ということが目的化してしまっている人が結構多い。
そーゆう人は、”洗えばいい”という意識になるので、お皿の汚れを落としきれてないことが結構あります。


さて、僕らがお店を運営していくにあたっての“目的”はなんなのかというと、“そこにあり続けること”だと考えています。

ふとした時に、ゆったりしたい時に、気持ちを切り替えたい時に、いつでも駆けこめる場所であること。
それがこの舞鶴という場所にあること。

これが、カフェが街に対して、そしてお客さんに対して果たすべき役割だと思っていて。


ぼくはたまに、綺麗事を言います。
KAN,MAではダメな人になっていいんだよー!とか、
舞鶴のいいところを探そう!だから写真部やろう!とか、
関係性を作りましょう!置き手紙を書いてください!とか。



「でも結局お金稼ぎのためでしょ?」



そう言われたことがあります。
ぼくはこう答えました。



「あたりまえだ!!!」



僕たちはお金稼ぎをしています。
これは紛れも無い事実で、いかに売上を伸ばして利益を出すかを考えるし、それはつまり、いかにみなさんにお金を使ってもらうかを考えるということです。

しかし間違ってはいけないのは、このお金稼ぎは、“手段”です。
先述したように、僕らの目的は、“そこにあり続けること”であって、“利益を出すこと”ではありません。
利益を出すことはあくまで、この場所にKAN,MAが存在し続けるための”手段”だということを見失ってはいけない。

大事なのは、利益を出して、なにをするか。
利益を出すことが目的化しているお店にファンはつきません。


ぼくはなにより、舞鶴からKAN,MAがなくなることがこの街にとって、そして皆さんにとっての“不幸”であると思うし、そのために、死んでも潰すもんか!という気持ちでやっている。

もちろん、KAN,MAなんてなくてもいいよ!と思われてしまっては意味がないので、
この街にある意味を提示し続けることはとても大事。

そのための #舞鶴写真部 だったり、 #今日の置き手紙 での関係作りだったり、居心地のいい空間作りだったりします。
まだこの場では言えないのですが、“KAN,MAがここにある意味”を作るためのプロジェクトも密かに進行中。

とにかく、この街で大儲けしてやろう!というテイクの精神ではなくて、この街にいかに価値を与え続けるか。という、ギブの精神でやっていくことが大事よねーという、そーゆうお話。

てか最近舞鶴写真部ほったらかしよね。
やばいやばいちゃんとやりまーす。