暮らしのコト

“移住しちゃった移住者”が語る、これからの移住のカタチ



「なんで舞鶴に来たの?」




——「舞鶴出身の方ですか?」とお客さんに聞かれ、「いえ、ここに来る前は東京にいました。」なんて返事をすると、次に来る質問が大体これ。この質問が来たら、ぼくの答えはひとつ。




「なんか、カフェを作るって言うので。」




このやり取り、KAN,MAで働き始めてから何回したことか。
この返事の後に来るリアクションも大体決まってて、



「えー!それだけでこんな何もない街に!?」



です。
これ、ことごとく皆さん同じリアクションをするんですけど、
僕からしたら、「え、そんな驚くこと?」って感じです。


この、ぼくとお客さんの間に生じるギャップ。
このギャップがなぜ生じるのかというと、
ぼくとお客さんの間には、移住に対する大きな視点の違いがあると思うんです。


今日は、そんなお話。“移住しちゃった移住者”が語る、これからの移住のカタチ


(偉そうなことを書きますが、一人の若者の移住のモデルケースとして、どうか広い心でお読みください。)




ぼくは舞鶴に住み始めて、1年半ほどになります。
こっちに来てからよく聞くキーワードが、“移住”というもの。


舞鶴に来る前、ぼくは東京で学生をしていて、就職活動なんかもしていたけど、
探していた会社はすべて東京の会社。


ずっと東京にいるつもりだったので、
移住したいなんて思ったこともなかったし、
そもそも移住というテーマを頭の中に入れたこともなかったから、
したいともしたくないとも思っていない、完全に無関心の領域でした。


正直舞鶴に来てからも、ぼくは移住をしたという感覚はなくて、
ただの引っ越し。ちょっと距離のある引っ越し。そんな感じ。



そんな中、つい2週間ほど前に、移住促進の活動をしている人とお話をする機会があったんです。
その時に、



「(地方創生について)移住者としてどう思いますか?」



と聞かれまして。




移住者……!



ってなりました。
こんなぼくが地方創生という大きなテーマへの意見を求められたことの驚きよりも、
あ、ぼくって移住者なんだ……!いつの間にか移住しちゃってたんだ……!ってことの衝撃のほうが大きかったです。
びっくりするくらい意識してなかったんですけど、ぼくって移住者らしいんです。


“移住者”という言い方をされると、なんだか大きな決断をした人のように思われますが、(おそらく、だから意見を求められたのでしょう。)
でも、ぼくの感覚では、ただの引っ越しなんです。


やってみたいと思ったこと(カフェを作る)をできる場所が、たまたま舞鶴だっただけ。
そのたった一つが、ぼくが移住してしまった理由で、
渋谷勤務から新宿勤務に変わったくらいのノリで、東京から舞鶴への移住を決めました。

その時、“舞鶴にはあれがあるから”とか、“なにもないから”とか、
そんなことは、この移住にはほとんど影響しなかったんです。


つまり、あくまでこれはぼく個人の場合ですが、
結果的な移住という行動への決め手になったのは、
その街に“なにがあるか”ではなく、“なにができるか”だったわけです。




ここで、冒頭のお客さんとのやり取りの話に話題を戻すと、
お客さんは、“舞鶴には何もない”という、あるないの視点で移住を捉えていたのだけど、
ぼくは、“カフェを作ることができる”という、できるできないの視点で捉えていたわけです。


ここに、これからの移住のカタチがあるんじゃないかなーと、ぼくは思います。
“やりたいことができる”という、たった一つの確証さえあれば、たとえその街に何もなくても、人は移住してしまう。



ところが、多くの地方自治体の移住促進ページでは、



この街には豊かな自然がある!

とか、

教育に関する充実した制度がある!



というような、この街にはこれがある!なんてことを全面にアピールしている。
いや、もちろんそれも大事なんです。それが移住の決め手になる人もいるだろうし、移住を意欲的に考えている人の背中を押すという意味では大事なことなんだけども、


僕みたいな移住なんて考えたこともない人からすると、
“その街に何があるか”というのは、



どうでもいい……!



だって、今の時代買い物もネットでできるし、どんどん交通も便利になっていくし、
何もない街であっても、たいして不便な生活にはならないんです。
豊かな自然とか、充実した制度っていうのは、あくまで+αなんです。メインではない。


というか、あるないで勝負をしたら大都市に勝てるわけがないんです。
東京とかもうありすぎるくらいあるもん!


だから、ぼく的には地方は、「この街には何もありません!」って開き直ってもらったほうが気持ちが良くて、
変に張り合おうとするから、比較検討になってしまって、移住決断のハードルが高くなるんです。


まあ、何もないとまでは言わなくても、
「この街には豊かな自然しかないけど!」、「せめてもの充実した制度くらいしかないけど!」みたいな潔さで、
「でもこんなことができます!」、「こんな仕事ができます!」の方が、移住に全く興味のない人でも、移住してしまう可能性を作れると思うんですよ。(移住が流行りつつあるものの、興味がない人の方が圧倒的に多いですからね。)


それに、“あるない”よりも、“できるできない”の方が、地方に勝ち目があると思うんです。
だってKAN,MAみたいなお店は東京じゃ作れないだろうし、作れたとしてもたぶんすぐ潰れます。


舞鶴みたいなど田舎だから作ることができたし、今日もいつも通りお店を開けることができる。
そんな、東京にいたら経験できないけど、舞鶴に来れば経験できるよ〜というお誘いに、ぼくはまんまと乗っかって、移住させられたわけです。


とまあ、そんな感じ。
んーどうなんだろ、ぼくみたいな移住とか無関心の人を “移住させちゃう” 方法っていうのは、
これだと思うんですよね〜。はい。


現状の移住促進は、あくまで移住検討者へのフォローでしかなくて、
もっと積極的に、この街に来たらこれができるよー!という、具体的な提案をもってアプローチするのがいいなーと。


やりたいことを探していった結果、移住しちゃったっていうのが、
これからの移住のカタチとしてアリなのではないかと、そう思うのです。





と、こんな偉そうに語ったわけですが、
こんなことにはとっくに気づいて動いている人がいるわけで。


ぼくがKAN,MAで働くキッカケとなった日本仕事百貨や、まんまと京都へ移住させちゃいそうな京都移住計画は、本当におもしろいサイト。


こんなのがもっと広まればなーと思う。

というわけで長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。